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たいせつでたいせつで(188・完結)

 硬い音が弾けた。
 「あっ…」
 受けるだろう衝撃に備えて歯を食い縛っていたクオンは、小さな声を聞いて呼吸を呑んだ。まさかキョーコに銃弾が当たったのでは…
 しかし、続いて聞こえたのはもっと低い苦鳴だった。
 床付近で上がったそれは、明らかにラウズのものだった。そしてそれに、バタバタと近付いて来る数人の足音被さる。
 キョーコを抱え込んだまま、彼は勢いよく振り返った。
 まず、踏みつけられ確保される銀色の拳銃が目に入った。そこからスライドする視界に、撃たれたのだろう、血を噴く右手を抱えて呻く男を、それに素早く駆け寄って手錠をかける警官を見る。ガチャリという重い音を聞いて、クオンは漸く緊張を解き腕の力を緩めた。
 「怪我はない?キョーコちゃん…」
 息を吐きながら覗き込むと、少女は混乱の眼差しを押し伏せられた元義父の姿に向けている。
 「おとう、さん?」
 ふよふよと小さな呟きが漂うのを聞き、クオンはこっそり奥歯を噛んだ。あんな男を、まだ父と呼ぶとは…怒りに似た強い感情を覚えるが、まさかそれをキョーコにぶつけるわけにも行かない。
 やむなく黙り込み、彼は細い声を聞く。
 「て…じょう…」
 のろのろと呟かれた言葉に、そう言えばと思い出す。ラウズが実際に逮捕される場面をキョーコが見るのは初めてのはずだ。
 両脇の警官に引き立てられて行く男の姿を見送り、もしかしたらこれはいい機会なのではないかと思う。彼女が事実に向き合い、元義父の行為こそが悪であるのだと知るための。
 喪われたものは回復しない。キョーコには忘れるよりも、乗り越えることが必要なはずだ。
 当然、幼い、優しい少女にとってはそれもまた辛い作業ではあるだろう。それでも、彼女は一人ぼっちだった嘗てとは違い、今は彼女を愛し支える人間がたくさん傍にいる。それらの人々は、彼女の立ち上がる力をどこまでも信じ見守り導くだろう。
 そうして…
 その筆頭でありたいと望むクオンにとっても、この事態は重要な問いかけを孕んでいる。
 問うよりも聞くことをこそ要求されるいま、と今後を、彼には耐え得る強さがあるのか。つまり、終わったのではなく始まったことを認める勇気があるのか。
 クオンは強く目を瞑る。
 胸に描く答えは、是であり否でもあった。
 きっと、自分のためならば耐えられない。キョーコのためだけでも、難しいかもしれない。
 けれど、二人のためなら?共に見る光を、描く未来を、支える希望を夢見るためならば。
 クオンはうすい肩をそっと揺すろうとした。それよりも先に、二人の上にふと影が差す。
 「大丈夫かい?」
 中年の警官に覗き込まれた。
 「あ…はい…」
 「君もずいぶん無茶をしたようだね。大まかな話はお父さんからも聞いてるけど、少し落ち着いたら君たちの話も聞かせてくれるかな」
 「はあ」
 気付けば、閉じられた鉄扉の向こうからちゃかちゃかと斬り結ぶやりとりが聞こえる。
 『ちょっ、困ります!一般の方は立ち入り禁止です!!』
 『しかし…!私の息子と娘がいるんだ、傍に行ってやりたい!!』
 『お気持ちはわかりますが!』
 「父さん…」
 「父親としてのクー・ヒズリ氏なんてのも、滅多に見られないだろうね」
 苦笑しつつ毛布を差し出され、受け取ってキョーコに巻き付ける。自分の分は断った。
 もこもこになった少女の背をぽんぽんと叩くと、小さな顔が弾かれたように上がる。
 「ク、オン」
 夢から覚めたように大きな目を瞬き、キョーコは彼を視界に捉える。そこに浮かんだ安堵の色に励まされて、クオンはまるい頬を撫でた。
 「怖かったね」
 「…っ」
 ばろりと大粒の涙がこぼれた。秋風に冷える滴はまだ血の気の戻りきらない頬を伝い、クオンの手を濡らす。それに気付いたキョーコが慌てて自分で拭おうと小さな手を上げた。その手が何も握っていない。つい視線で周囲を浚えると、足元少し先に小さな破片がいくつも月光に濡れている。
 先ほどの銃撃の時か、と思い当たった。手からコーンの石が飛んでキョーコが声を上げたのだろう。そして、不運にも流れ弾に当たって石は砕けた。
 けれど、それでいいとクオンは首を振った。
 涙を吸い取る石は、もう要らない。彼女には泣く場所があり、自分のために泣くことを覚えるべきだと今は思う。
 「ここは寒いから、署に移動しようか。許可を取って来る」
 物腰のやわらかい警官が、動作で待てと告げて背を向ける。
 「クオン…」
 くしゃくしゃとしゃくり上げるキョーコが彼の名を呼んだ。
 「うん?」
 クオンは身を屈め、伸ばされる両手の間に首を垂れた。
 本当は、もう大丈夫だと、怖いことなど何もないのだと言ってやりたかった。少し前なら迷わずそうしていただろう。けれど今は知っている。
 彼女は自分で真実を掴み取らねばならない。彼にできるのはその手助けと、あらわれた真実を共に負う覚悟…いいやむしろ、共に負うことをキョーコに赦してもらうための努力だろうか。
 そんなことを、多分に自分のために考えていた彼の耳元に、彼女は。
 「ありがとう…」
 謝るのでなく、恐れるのでなく、感謝の言葉をささやいた。
 小さく、震える声に、胸を針でつつかれる心地がする。細い体を強く抱きしめ、クオンはきゅっと息を詰めた。そうしなければ、溢れてしまう。
 ほんとうに君がたいせつで、たいせつで。
 だからこそ請う…
 君に願う。


 幸せになる、勇気を。




                     -完-
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たいせつでたいせつで(187)

 小さな手が視界に大写しになる。
 身長差のせいで彼の顔に届いていないそれに、クオンは釣り込まれるように身を屈めた。
 「泣かないで…」
 頬に冷たくて硬い感触が当たる。コーンの石だ。彼が彼女に、涙を吸い取る魔法の石だと言って渡した。
 少女と目を合わせた。少し揺れる、それでもちゃんと意思を持った瞳に出合う。
 「俺は、泣いて、ないよ?」
 あんまり安心して泣きたくなってはいるけど。
 微笑もうとして失敗した。
 未成年ではあるが本職の演技者のくせに、キョーコの方がよほど上手に微笑を作っている。彼女こそ泣きたいだろうに、泣いていいのに。こんな馬鹿な。
 愛されないことを嘆き、そこに留まらず愛されようと努力する手で。
 捧げる強さで人を想い、他者のためにふるえる心で。
 彼女はこんなにもやさしい。
 馬鹿馬鹿しい、とクオンは自嘲した。
 救済してはいけないのだと思っていたのだ。
 与えるだけではキョーコを駄目にする、だと?自分は彼女の何を見ていたのだ。そもそもが、与えられるだけに甘んじてくれないから自分は苦労も苦悩もして来たのではなかったか。
 そんな肝心な事実を忘れ、傲慢にも一方的な庇護関係が成立し得ると考えていたとはお笑い種だ。
 苦笑にすら失敗する。
 大切にしているつもりだった。
 何のことはない、大切にされている。結局、自分こそが押し付けるばかりで、与えることは彼女が教えてくれているではないか。
 馬鹿だ、ともう一度呟く。自分の傲慢さが、無知が、じわじわと恥ずかしい。そして、ひどくもどかしい。
 へたり込んでしまいたい気持ちをどうにか抑え、浮いたままの自分の手を見下ろす。
 見比べるように目を戻すと、キョーコはきょときょとと周囲を見回している。ラウズに気づくとはっと身を硬くし、それから男が伸びていることに気づいてもの問いたげにクオンを見上げて来た。
 大丈夫、と告げるのは簡単だ。
 しかしその言葉は、言葉という形ではないにしても彼の方が彼女に貰ってしまったばかりだ。同じくらいに確かなものを返すにはどうしたらいい。
 手に、動けと命じる。
 身長に見合って伸びた腕は心を包むにはいまだ足りないとわかっているけれど、小柄な少女の体をは難なく収めることができた。きっと、与え与えられる体温には意味があるはずだ。
 「クオン…?」
 キョーコの声はふわふわと頼りない。まだ、覚醒しきってはいないのかもしれない。
 クオンはゆっくりと黒い髪を撫でる。
 「俺には、もう十分だから。君は、君自身のために泣いて。ここで」
 くらい、夜のコンクリート地に蹲って冷えてしまった体と自分との間に、じわりと伝わる熱を感じた。生きる力を分け合っている、と思う。
 階段を上ってくる足音が聞こえる。彼自身がぶち開けたまま微風に軋む鉄扉の向こうを、さっと影がかすめる。
 警察の人が着いたみたいだね。
 言おうとしたクオンは、蒼白な顔を強張らせている少女を見た。
 「!」
 疑問より先にその視線を辿った。振り返る視界の端、低い位置にちかりと不吉な光が閃く。
 銃口だ。
 立ち上がれず這いつくばったままのラウズが伸ばす片手には、いつの間にかチーフスペシャルが戻っていた。弾丸よりも禍々しい、血色の眼光に射つけられて息を呑む。引き鉄にかけられた指が震え、力がこめられたことを知る。
 しまった。
 思うと同時に少年は少女の体をぐいと引いて体勢を変えた。腕の中の宝物を、火を噴く悪意に渡すわけには行かなかった。
 轟音が夜気を引き裂く。



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たいせつでたいせつで(186)

 「コーン、コーン…っ」
 両掌に握り込んだ石に、キョーコは繰り返し呼びかける。すぐ目の前にいるクオンをちらと見ることもせずに。
 「キョーコ、ちゃん」
 やっと喉を通った少年の声は、ひどくかすれていた。
 どうして、と思う。
 どうして自分に言ってくれないのか。自分を求めてくれないのか。そんな石でなく。
 「キョーコちゃん」
 心が軋む。まるで、世界に一人ぼっちになってしまった心地がする。
 ああ…と嘆声が漏れた。
 きっとキョーコは、こんな気持ちをずっと抱えて来たのだ。
 それは彼の知る孤独よりもずっと深く、冷たく、救いがない。
 「キョーコちゃん」
 幾度も呼んで来た名前を、幾度も呼ぶ。これは彼の求めだ。
 「俺は、君が必要だよ」
 そろりと立ち上がった。二歩、もう一歩後へ引く。
 「君は、俺なんて要らない?」
 呟いた途端に彼は知る。
 強くなりたいと望んで来た。揺らぎなく自分を支える強さが、キョーコを包み込める強さが欲しかった。
 今、この孤独こそが、そこへ至る唯一の道。
 この少女をただ欲していただけでなく、同時に、欲されることを欲していたのだ。
 キョーコは相変わらずコーンの名を繰り返している。それに紛れて謝罪の頻度が下がっているようなのは良い傾向なのかそうでないのか。
 身を離したせいか、その声が少し間延びして聞こえる。
 「、オ、ン」
 え、と少年は目を瞠った。
 今、彼女は何と。
 「ク、オ、ン」
 今度こそはっきりと聞き取れたその名は、正確に彼のものだった。一体いつから。
 「あ…」
 圧倒的な感情の本流に襲われる。
 まさか。
 やっと。
 悲しかった。
 辛くて。
 求めて。求めて。
 求められたくて。
 それ以上に、愛しくて。
 今、ここにいる。それが、
 嬉しい。
 「いるよ」
 声が上ずる。そろそろと差し伸ばす手が震える。
 「俺はここにいるよ、キョーコちゃん」
 ただ目を上げてくれればと願う。
 おそらく、ここで彼女を説得できたとして、すべてが今すぐに丸く収まるわけではない。世界は残酷で厳密で、打ちのめされた小さな女の子が傷一つなく癒される日など来ないのかもしれない。
 けれど。少しでも一つでもその傷を減らすことができるなら、そうして一つ一つを積み重ねて行けたら、永遠の努力さえ払ってみせる。
 だからどうか、と心から願う。
 救われることを望んで欲しい。
 そのための方法でいい。自分を、望んで欲しい。
 何と引き換えにもできるし、何とも引き換えにできない、そんな君に、そのために。
 そうっと、そうっと頬に触れる。びくりと震えるさまに怯えそうになる自分を叱咤して、小さな顔を持ち上げた。
 目を合わせる。視線はまだ合わない。
 胸が痛い。
 それでも、退くわけには行かなかった。
 「あげるから」
 呟くと、少女がひとつ緩い瞬きをした。そこから、ぽろりとひとつぶ涙がこぼれる。
 「君に、ぜんぶあげるから」
 まるい頬を伝う涙を指先で拭い取りながら手を離し、クオンは、包むように諸手を拡げた。
 「だから、自分で取りに来て」
 胸をかすめる夜風に乗って、パトカーのサイレンと複数の車の走行音が近付いて来る。
 先ほどの車両だろうか。頭の隅で思ったがクオンは動かず、じっとキョーコを見つめ続けた。かたかたと震える顎の先から、透明な滴が伝っては落ちる。
 クオンは辛抱強く待った。
 月影に黒く沈む少女の瞳に、次第に光が点り始めたとは気のせいだろうか。
 サイレンがいよいよ近くなり、急ブレーキの音と共に唐突に止む。キョーコがはっと呼気を吐いて目を瞠る。
 初めて外的刺激への顕著な反応を示すのを認め、クオンはここぞとばかり踏み出した。
 地上から、複数の抑えた話し声と足音が浮き上がって来る。覚えのある声の混じるそれらに安堵しつつも、少女にどんな影響を与えるのか与えないのかが恐ろしい。
 心中の葛藤を抑え付け、少年は穏やかに呼びかけた。
 「キョーコちゃん」
 まっすぐに、ただ一人に届けと願った声は、願ったほどの強さを持っていなかった。かすかに語尾が震え、妙にしんみりと空気を冷やす。
 何というざまだ、いまキョーコに彼の揺らぎを見せてしまうとは。
 唇を噛むクオンの鼻先で、空気が動いた。
 「…え」






たいせつでたいせつで(185)

 ぱしゃん…と。
 見た目よりも薄手のガラスだったらしく、やけに繊細な音が上がる。日本の祭りで聞いた酒瓶の割れる音より、CF撮影中のグラスの割れる音によほど近い。
 耳のいいキョーコがそれに反応しなければいいと願いながら、クオンは同時に口を開いた。
 「キョーコちゃん!!」
 聞くな、と言いたかった。むしろ自分の声を聞いてほしかった。
 ありったけの思いと声を捧げる彼はしかし、細い細い呟きを聞く。
 「…いや…」
 呼吸が詰まった。
 再びキョーコの名を紡ごうとする唇が震える。届かないのか。
 は、というせせら笑いに、目の前に注意を戻した。ラウズはぎざぎざに割れた瓶の先をニタリと見て、割れ残った部分でわざとらしく肩を叩く。
 「何言ってんだ、ちび悪魔。さんざ人に迷惑かけやがったくせに、今更か弱ぶったって誑かされるわけねえだろうが」
 ぎり、とクオンの歯が鳴る。
 「あんたは、まだそんなことを…!」
 男は口を開いたが何も言わず、激昂する少年に馬鹿にしたような憐れむような目を当てた。
 それと共に靴先をにじるのを予備動作と見たクオンは正しかった。半歩前に出した左足を軸に肩を引き、彼は思い切りよく突き出されたガラスの切っ先を受け流す。
 右手を拳に固め、フック気味に男の顎を狙うあたり、彼もなかなかえげつない。
 しかし神速を誇る拳も、目標の軌道を見誤っていれば相手に届くどころではない。するりと身を沈めたラウズの残像だけを乱して空を切った。
 「!?」
 わずかに体勢が流れ、重心を戻すより先に彼は悟る。
 違う。
 ラウズの狙いは自分じゃない。
 「キョ        コ!!」
 割れた声に教えられるまでもなく、始めから。
 手を伸ばす。指先をかすめる風にぞっとした。
 バランスの戻りきらない足を無理に踏み切り、つんのめるような格好で更に手を伸ばす。
 「滅びろ悪魔ッ!」
 「させるか!!」
 ざらりとして叫びを斬って捨て、わずかに指のかかったジャンプスーツの襟をぐいと引き寄せる。
 「うぉ…」
 跳ねる体を強引に引き倒した。振り回される凶器がかすめ、左頬に熱を覚える。構わず、床に転がるラウズの腹へと倒れ掛かる勢いを少しも殺さず肘を沈めた。
 どす、と重い手ごたえ。男が苦鳴を上げる。
 「ぐうっ」
 そこで許さず、痙攣する腹に入ったままの肘を支点に足を飛ばし、ととめとばかり顎を蹴り上げた。今度は反応がなかったから、すでに意識を失っていたのかもしれない。
 「ふう…」
 クオンは大きく息をついて立ち上がる。うずくまり震え続けるキョーコのもとへ、二歩で駆けつけた。
 「キョーコちゃん…」
 そっと手を伸ばすと、小さな肩がびくりと引かれる。少女を恐れさせてしまった後悔と、恐れられたことへの傷心に自分の眉尻が下がるのがわかった。
 どうしたものかと考えあぐね、しかし放っておけるわけがない。一心にキョーコを見つめていると、顎が小さく動いているのに気づいた。何か言っているのか。
 触れないよう慎重に身を寄せるクオンの耳に、微風にも紛れてしまいそうな吐息ほどの呟きが聞こえた。
 「ごめんなさい…ごめんなさい、おとうさん…」
 怒りと悲しみに目が眩む。
 どうして君が謝る必要がある。
 彼女は愛されたかったのだと思う。もっと以前から、ずっとそうだった。子供が最初に出会う家族という小社会で、無条件に与えられていいはずのそれに飢え、必死に手を伸ばしていた。
 なのに得られず…それどころか、ラウズに至っては親の立場にありながら彼女の伸ばす手を心を傷つけ、根底から否定したのだ。
 そんな男に。
 だらしなく伸びているラウズへと射殺しそうな視線を流した時、まだ遠くにだがパトカーのサイレンが聞こえた。ここへ来る途中なのだろうか。
 いずれにしろ、父が通報しているはずだから警察も、父自身もおっつけやって来るだろう。
 少し迷い…恐れたが、ジャケットを脱いで震える少女にそうっと着せ掛けた。
 「キョーコちゃん、もう大丈夫だから…」
 恐る恐る話しかける途中、彼はふと口を噤む。少女の指先が、何かを探すように空をもぞもぞ動いている。うわ言のように零し続ける小さな小さな声の中に、いつの間にか違和感が滑り込んでいた。
 謝罪でもなく、父を指す単語でもないそれは。
 「コーン…っ…コーン、いや…」
 彼を、違う、恐らくは彼の与えた石の名前。
 彼女は、ずっとそうして耐えて来たのだろう。小さな石に縋って、孤独を恐怖を堪え、縮こまって。一人で。
 クオンは唇を噛み締め、夜天の下に目を走らせた。先刻、急場とは言えアイオライトをラウズに投げつけたりするのではなかった。また地上まで落下していなければいいが。
 よくよく目を凝らせば、キョーコの右向こう、屋上の端を区切る簡易な鉄柵の下にちかりと光るものがある。
 あれか。
 立ってそこへ行く。足音にさえ少女が身を震わせるのを強く意識しながら、できるだけ静かに歩いた。
 鉄柵まで行き、確かに目的の物であることを認めて拾い上げる。再び静かにキョーコのもとへ戻ると、殊更ゆっくりした動作で彼女の前に屈み込んだ。
 「ほら、キョーコちゃん」
 縮こまる手首をそっと、しかし強めに引き、冷えた手を軽く掻くように石を押し付ける。はっと息を呑む音がして、キョーコは掌に覚えた感触を握り込んだ。
 「コーンっ…
 「たす、けて…!」
 それは、少女が初めて紡いだ言葉だった。他者へ救いを求めるその一言を、彼女は自分のために使ったことがない。
 クオンは打ちのめされたように呼吸を詰めた。



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たいせつでたいせつで(184)

 「やめろ!!」
 とうとう切迫が慎重を蹴り飛ばした。クオンは潜んでいた鉄扉を思い切りぶち開けて躍り出る。
 がこん、という金属音に、目を見開いたラウズが振り返った。闖入者へと慌てて向け直された銃口を認め、武道をも身に着けている少年は咄嗟に横へ跳ぶ。
 銃声と同時に閃光が奔り、一瞬だけ遅れてコンクリ床がぱっと火花を散らした。
 クオンは側転の要領で体勢を整え、右手を大きく後ろへ引く。
 掌に握りこんだものをサイドスローでラウズへと投げつけ、前に引かれる重心に逆らわずに踏み出した。
 びし、という打撃音と短い悲鳴。拳銃ががちゃりと床に落ちる。
 落とした武器へ手を伸ばす略取者までの距離を一気に詰め、腹を狙って膝を突き上げた。
 「ぐうッ…!?」
 思い手応えを感じる。
 よろめいたラウズからすばやく一歩引き、今度は胸元へと回し蹴りを放った。男がぐらりと仰向けに傾ぐ。
 が、この隙に拳銃を取り上げよう、と一瞬意識が逸れたのが悪かった。振り切った足をしがみつくような形で掴まれる。
 「っ!」
 引き倒されそうになるところ、クオンは逆に残る足で床を蹴った。体を捻りながら男の手を薙ぎ、くるりと一回移転して降り立つ。キョーコを背にし、次第に引き離しているのは勿論故意にだ。
 「キョーコちゃん?」
 声をかけても少女の気配は動かない。振り返って様子を確認したいけれど、今は敵から目を離すわけに行かなかった。
 ラウズがふらふらと立ち上がる。意外にタフなのか、キョーコの前だからとクオン自身が無意識に手加減しているのか。
 じり、と踏み替えた足に硬重い感触が当たり、銃だと知ったクオンは踵で蹴り飛ばした。
 ラウズが血走った目をクオンに向ける。
 「何だ、お前は…」
 じろじろと不審と不快の視線を浴びせられるが、彼に怯む理由はない。代わりに半歩だけ前に出、どう来られても対応できるように重心を落とした。
 「ん、そう言や、ちらっとだが見たことあるな…」
 おそらく、今日まさになぞらされた苦い記憶の日のことだろう。どうやらあの公園で、キョーコと一緒にいるところを見られていたらしい。
 「その悪魔の仲間か」
 気味の悪い、一本調子の呟きを向けられる。
 「悪魔はあんたの方だろ」
 クオンは低く言い捨て、強い視線をまっすぐに男に向けた。
 「何だと?」
 「遠い日本から連れて来た奥さんを殺したばかりか、罪もないキョーコちゃんにまで酷い仕打ちをして…天使みたいにいい子なのに」
 私情も露に言い切ると、ラウズは憐れむような溜息を吐いた。
 「お前、そいつの仲間じゃないってんなら誑かされてんだよ。そいつもそいつの母親も、人を破滅させる悪魔だぜ?俺はそれに気がついて、世のため人のために退治してやって」
 「あんたの破滅はあんたのせいで、しかも相応ってものだろう」
 少年は口端に泡を吹く男の言葉を冷たく遮る。言い捨てられて男はさっと顔色を変えた。
 「相応?相応だと!?冗談じゃない、俺はこんな所で燻ってるような人間じゃねえんだ。三ヶ国語ペラペラどころか人に教えられるようなエリート様だってんだよ。なのに、俺の運をそいつらが食いつぶしちまうから…俺の能力をもってすればほんとは今頃、そうだ、そいつらさえいなきゃ…」
 声調子がゆらゆらと上下する。筋の通らない言い草がまずます酷くなる。きょろきょろと忙しなく周囲を見回したラウズは、ふと横へ身を屈めた。
 白いビニール袋のまま投棄されているゴミを探り、中から細長いガラス瓶を取り出す。
 「…!」
 クオンの全身が緊張を孕んだのは、ガラスの破砕音がキョーコに与える影響を思ってのことだった。彼がそばにいる時にはどうにか堪えてくれるようだが、いま彼女は彼を認識しているだろうか?
 ニタリと笑った男が、手にした瓶を構造材へと打ちつける。






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