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たいせつでたいせつで(182)

 ぢゃり。
 と入り口前の階段を塞ぐ鎖を鳴らして跨ぎ越え、ラウズは猫の子にするようにキョーコの襟首を掴み上げた。
 彼らが住んでいた頃から既に老朽化の目立つ建物だったが、とうとう閉鎖されてしまったらしい。三階の一室で起きた陰惨な事件も、少なからず関係しているかもしれない。
 浮浪者でも入り込むのか、玄関の鍵は壊されていた。ラウズは難なく大きな扉を開き、しんと冷えた屋内に踏み込む。
 「あそこだ…そうだ、あそこだよな。きっとあそこに、穴だか出入り口だかがあって…」
 腕をつかまれ引きずられるキョーコには小刻みに揺れる背中しか見えないが、ぶつぶつ呟く声に危険な愉悦が聞き取れる。前に回ればきっと、ニタニタとだらしない顔をしているに違いない。
 「これが済みゃ、俺にも少しは運が向いて来るだろ」
 ゴミや泥や埃や正体不明の汚れに塗り潰された廊下を奥へ、階段へと向かう。迷いない足取りで進む大人に引っ張られるまま、少女は震える足を必死に動かした。
 歩かなければ、また怒らせる。
 同時に、一歩ごとに違う恐怖と危険が近付いていることにも気づいていた。キョーコはスカートのポケットの中で片手を握り締めてそれに耐えようとする。そこには、あの蒼い石が入っていた。
 クオンとの繋がりを無意識に求めていた結果だろう。バッグの中でなく、より近くポケットに入れていたのが幸いしてこれだけは取り上げられていない。
 けれど、極端に狭くなった薄暗い視界の中、心に描く蒼までが次第に黒く染められて行くようで。
 少女はただ、縋りつくように掌を握る。もしも彼女に、他者に助けを求めるという感覚があったなら、縋るものはもうひとつあったはずだけれど。対象となる相手も、それを望むはずだけれど。
 その名を口にできず、彼女は引きずられて行く。伸ばしてくれた手からも引き離されて行くようで、心に描く姿までがひどく遠く感じる。
 段差にぶつける度に膝を汚しながら二階へ、そして三階へ上がった。誰かいるのかいないのか、アパート自体が息を潜めるように静まり返る中で、男の荒々しい、少女の引きつりよろめく呼吸と足音ばかりが耳障りな不協和音を繰り返す。
 まっしぐらに5号室のドア前に向かったそれらが止まると、傷だらけの真鍮のドアノブがガチャガチャと乱暴に回された。当然ながら、ドアは開かない。
 「あん?」
 ラウズが不快げに舌打ちする。キョーコの手を振り放し、手にしたチーフスペシャルの銃口をドアに向けた。小ぶりなダブルアクションが二度咆え、シリンダーの折れる甲高い音が響く。
 びりびり震えるドアが蹴り開けられた。がん、と狭い玄関の壁に当たって跳ね返るのをラウズが押さえる。
 ぎ…と蝶番の軋む音。
 頭を抱えてうずくまっていたキョーコが引っ張られるように視線を上げると、開いたドアの向こう、窓から射し入る月光に照らされたダイニングキッチンの床に。
 くろぐろと蟠る染みを見た。
 あれは。
 「嫌」
 割れたような声が漏れる。
 少女は激しい動作で立ち上がり、ぱっと身を翻した。ここにいたくない。いられない。
 「このガキ、どこ行きやがる!」
 怒鳴り声と手が追いかけて来る。意図してではなかったが廊下のゴミに躓いてよろめいたことでそれを躱し、キョーコは階段へと向かう。下へ降りようとする足元に銃弾を撃ち込まれ、どうしようもなく階上への段に足をかけた。
 どこへ向かうとも考えず、ひたすら足を動かす。元々運動能力の高い少女ではあるが子供の震え足、はかが行かないのを嬲るようにラウズはのろのろと追いかけて来た。



 銃声を聞いた気がした。
 クオンは秀麗な顔を顰めて視線を上げるが、しかとは聞き取れないまま街の喧騒に耳が塞がれる。
 「この辺のはずだけど…」
 ナビゲーション画面を表示した携帯電話を放り出し、クオンは四囲に目を配った。やや治安の悪そうな通りには、宵闇とともにいかにも柄の悪そうな人々がそこここ滲み出て来ている。キョーコがかつてこんなところを通って通学していたのなら、門限については納得できると思った。
 そもそも、米国の家庭では子供と称されるうちはだいたい親の車で学校に送り迎えされる。キョーコの家庭環境と性質ではそれは望めなかったに違いないから、外出の時間を限られたことだけは仕方なかったのかもしれない。
 それが、彼女の身を慮ってのことでさえあれば。
 どうしてだろう、とクオンは唇を噛んだ。
 彼女は与えられずに育って、なのに与えることができて、だから今は愛されているのに。ここへ来て、過去の闇が再び彼女に手を伸ばすなどということがあっていいのか。
 攫われる直前のキョーコが何度も目に浮かぶ。
 恐怖を湛え水膜を張った瞳が彼を捉えてわずかに色を変え、小さな手がいっぱいに差し伸ばされる。理由はどうあれ、あんなにまで切実にキョーコに求められたのは初めてだった。
 応えたい。
 彼女に手を伸ばし返し、触れ、安心と安全を与えたい。
 そして。
 おそらくもう、それだけでは終わらない時が来ていることも、彼は知っていた。





 
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